地中海に浮かぶスペイン
マヨルカ・イビサ・メノルカなどの島々への誘いが多い。ここバルセロナに滞在中のことだが、ホテル、レストランの窓にはポスター・パンフレットの類がやたら 目立っていた。私の旅行計画にはしっかり組み込まれていた地であったので、何となく嬉しいような安堵の気持ちと同時にワクワクする心境が絡んでいた。
マヨルカ島は地中海に浮かびバレアレス諸島の中心。古代はフェニキア・ギリシャ人の拠点であり西地中海における交易・軍事の拠点であった・・・。 事前の調べで解ったことであるが、私にとって難しいことは苦手。要は「そんな歴史があるんだぁ」という程度でよく、それがわずかでも感じられ、 それなりの雰囲気が味わえればヨシ!としているのです。言語はスペイン語の類「カタルーニャ語」であるとも説明してあったが、私にすれば何語でもOK。 日本語意外解るはずもないのですから・・・。
地図を見るとバレアレス諸島はバルセロナのすぐ前にある。当初の予定ではフェリーでマヨルカに渡る予定であった。しかし、「輝く地中海の光と風」を 決め込んでいた私はガッカリ。夜の1便しかないのだ。しかも海外での夜発の8時間はさすがに辛い。しかし、飛行機で渡れば30分!これに決定。翌日、 私はフライト時刻の2時間前にバルセロナ空港にいた。今の私にとって手続き上のアクシデントは紙一重。多少のことがあっても搭乗できる安心タイムなのである。 労のわりにはアッという間にマヨルカ島上空。ソンサンファン空港は眼下にあった。軍用空港も兼ねているのか10機ほどの戦闘機が並んでいた。1週間後の午後には 又この空港に帰って来なくてはならない。この島マヨルカに3日、メノルカ島2日、最後にイビサ島を予定していた。ソンサンファン空港から街の中心部までは5~6Km。 重たい荷物はバルセロナのホテルに預けて来たので負担の概ねはカメラとレンズだった。長い距離ではないと知っていた私は、迷わずタクシーに乗った。 「オテル ミラドール ポルファボール!」と小声で告げた。息子の歳と同じくらいに見える運転手は「シィ セニョウラ!」と普通に答え車を発進させた。 このフレーズだけを何十回練習したことだろう。自信の無さが小声になってしまったが、かえってそれらしく聞こえてしまったのだろう。その運転手は到着まで ズッとしゃべり続け、私は握りしめていた「HOTEL MIRADOR」と書いた紙切れをソッとカバンへ戻した。
ホテルは大規模マリーナが一望できるメイン道路沿いの丘側にあった。バルコニーからは豪華ヨットが数えられないくらい並んでいる。詳しくは判らないが 「超豪邸がズラーッと並んでいるようなものかぁ」とボートを家に変換してしまう自身の習性に苦笑した。左前方の高台には「大聖堂」が威厳をなして建っている。 520年を経過した建造物は遠くから眺めていても絵になっている。明日は間近に見ることが出来る。ガウディが修復したといわれる礼拝堂にワクワクしてくる。 旅先の3日間は早い。だから、朝食バイキングも一番客。早々に済ませ港の遊歩道をゆっくり歩いて行った。そして途中何回もベンチに座った。早朝の斜光は余りにも 優しく、散歩する長い人影が私を撫でて過ぎて行く。やがて「大聖堂」の入り口に着いた。が、「見えない!」方向を失うほどの規模の大きさに圧倒される。 地図に書かれている道よりずっと狭い感じの路地が入り組んでいる。影に塗りつぶされた石壁が両側から圧倒し、細い石畳の路地は鈍く光って続いている。時間は 充分あった。だから焦ることもなくゆっくりと礼拝堂を探せばいいと思っていた。早い時間のせいか人通りは少ない。客待ちをしている馬車にも操馬手の姿は無く、 装備を着けられた馬は作り物のようにジッとしている。この光景と静寂のなかに「キィーン」という金属音が響き、過去の世界に吸い込まれてしまいそうな錯覚を覚えた。 迷路をさまよったというか、楽しんだのち礼拝堂の入り口に立つことが出来た。直線的なディテールの石材建築の外観は、私が勝手にイメージしているガウディの 印象とはまったく違う建築物だった。しかし、立派であることに変わりなく風化された石材からは520年の歳月を充分感じ取ることができた。聖堂に入ると見学者は グンと多くなり、高い天井を一同に見上げている。入り口から礼拝堂を見る・・・「なるほどガウディ!」と思える雰囲気が感じられる。しかし、「ガウディが修復した 建物は隣です!」と説明されたら「そう!これは違う」と納得してしまうのも私であり、頭の中にある「ガウディ」はバルセロナの作品で満タンなのです。 天井へ向かう支柱がカーブしていないと「ガウディ」じゃないわ・・・」そう勝手に決め、心の奥で人知れず楽しんでいるのです。
昨日は良く歩いたなぁ・・・。日ごろから愛用している「万歩計」があったら新記録だったかも知れない。それが原因かも知れないが、何だか「だる~い」感じの 目覚めだった。それに、「石」の中で生活でもしていたような不思議な気持ちのする朝だった。今朝の朝食バイキングは1番ではなかったが、僅差の2番。軽めの食事を プレートに乗せ、海の見える窓際のテーブルに座った。準備してきた資料に目を通した・・・。「Soller」 (ソイェール)が本日の予定地。ここから歩いて行けるところに 中央駅がある。昨日訪れた大聖堂から北に少し行った広場にあることはその時から知っていた。その1番端っこにあるのがソイェール行きの乗り場になっている。 切符を買おうとするが、お客どころか係員もいない。それもそのはず時刻表を見ると列車は5分ほど前に出たばかりだと判った。次までは2時間半も待つことになって しまった。ホームは低くレールとの差はほとんどなく、手動の切り替え機に朝の光が溜まり、ハトたちは日本のそれと寸部変わらず求愛の儀に専念している。 1912年開業のソイェール鉄道は今もその風情を残し、列車が「木製」であることがガイドブックに載っていた。予定の時間が近づいた頃、超スローにその列車は 入って来た。ハトたちが舞い上がる中、堂々のお披露目だった。「確かに木だ」窓越しに車内を覗くとオールウッドゥンの装備であることがわかった。ソイェールまで 約1時間、トラムンタナ山脈を超える列車の旅が始まった。出発直後の数分は街中の洗濯物をかき分けて走行。その後は平坦な畑の中を時速50キロくらいでのんびりと 走る。動体視力の弱い私にも牛の顔がハッキリ見えるほどスローだった。4両編成の車内にはおそらく20名前後の乗客が乗ったはず。だが、私の車両には中年の ご夫婦が1組だけ。天井の照明もかなりな骨董品であることが解る。雲間に入ると車内が薄暗くなり、二人掛け席はその照明を受け、木質のいい雰囲気を出している。 床板はシックな色を出し、磨耗したところも同じ色で落ち着いている。壁・天井はオーク材のニス仕上げになっているが床は含浸透剤をたっぷりとしみ込ませた保全は 充分。半時間も過ぎた頃から列車のスピードが一段と落ちてきた。急な登りに入ったのだ。乗っているのが申し訳ないほど辛そうな走りに思えた。やや平行になったと 思ったとたんトンネルに入った。その数分はレトロな照明が本領を発揮。車内はまるで高級執務室と化していた。トンネルを抜けるとそこは絶景だった。 1500メートル級の山々が連なるパノラマに「ああ~来てよかったぁ~」と叫んでしまった。下りになってもこの列車がスピードを上げることはなく、静かに 「ソイェール」の街へ到着した。駅は小規模ではあったが、土産物屋・カフェ・バーなどは結構な軒数がならんでいる。今はシーズンオフになったばかり、 ハイシーズンになると大混雑になるのだろう。観光客もまばらなこの時期はラッキーな旅になった。駅には小規模な「ピカソ博物館」がある。創作活動をこの地で していたのだろう。地元の画家らしき友人と写ったモノクロの額が掲示している。ピカソ展は幾度か鑑賞する機会があったが、見慣れた有名作品ではない 「ピカソの作品」を鑑賞できたこと、ガイドブックに無いこの出会いがあったことが嬉しくてたまらない。ほとんど「1次産業」で成り立っているパルマ市ではあるが、 オフシーズンでも開けている各店舗が生き生きしている・・・というか勢いがあると感じた。少なくてもここ「ソイェール」にはそれをすごく感じた。「1次産業を 支える素材と歴史の厚みが違うナァ」と実感しながら、近くにある「ポルト デ ソイェール」の港町へと下って行った。