2019-04-04

フランス寸行

贅沢すぎる雑踏を抜け出し、シェルブール行きの列車に乗っている。
SNCFと呼ばれる国鉄の列車はル・アーブル駅に到着した。「旅」の始まりはここからと、不安ながらも胸を張った。駅に隣接したバスターミナルは閑散としている。静寂の待合所には、1組の若者グループが何やらヒソヒソ話してはクスクスと笑っている。その向かいには、初老の婦人が仏像のような顔で天井を見つめ、発券所へ向かう私の足音が異邦人の訪れを知らせていた。暇そうな切符売りは嬉しそうに「ボンジュール!マダム」と声をかけ、その声はシーンと静まり返った待合所に響き渡った。私は蚊の鳴くような小さな声で、「オンフルール、シィルバブレ」と返した。

今回の予定は、中世の港町オンフルール、ドゥービルの二つの町を目指す。パリ市サン・ラザール駅(口語ではサラザールと発音していた。)から、ル・アーブル駅まで約2時間の旅。車窓から眺めるセーヌ川は想像した以上に憂いを帯びていた。初秋を川面に写した風景に、フッと溜息が漏れてしまう。セーヌ川は見え隠れしながら、広大な牧草地とのコンビネーションを繰り返している。どこかの美術館にありそうな情景に、次第に酔っている自身を手放しで認めていた・・・。私にとって訪欧は生まれて初めての経験であり、その準備には必要以上に心力を費やしていた。それゆえ、私の心はまさに童心そのものであり、そこに音の無い場面が、感動的に車窓を流れた。
ル・アーブル駅からバスで30分も走ると、オンフルールの集落に入る。視界の戸数は100戸前後だろうか。新築中の家も数戸見られる。しかし、圧倒的に旧家が多くその大半がティンバーフレームと石造りであった。バスを降りて1軒、1軒写真を撮って周りたい衝動に駆られる。終点に着いたら折り返してこの集落を見に来ようと心に決めていた。写真で見た棟の上に植物が生えている家も見える。

・・・が、あまりに遠い。終点に着くまで1つの山、半島を越さねばならない。そして目的地オンフルールの港町にタクシーが1台も無いことに気付き、引き返しは断念。バスターミナルは岸壁のすぐ横に隣接。ここもまたル・アーブル同様、待合ホールに人影は無い。初秋の海風が想像以上に冷たい。ドキドキしながらあたりを見渡すが、町らしきものは一向に見えない。写真と違う・・・。乗客の後に理由なく続いた。百年はゆうに経っていると思える公衆便所のわきを何故か乗客たちはすり抜けていく。駐車場を横切り、10件ほどのレストランの前を過ぎ、左へ曲がった途端、「絵のような風景」が目に飛び込んできた。「古~い」と大声で叫びたくなった。「家が生きてる~」と、その光景に涙が出そうになった。言葉にもできない夢の現実がここにあった。掴みどころのないファンタスティックが売りの作曲家エリック・サティが、ほんの少しだけ解ったような気がしてくる。15世紀における対イギリスとの百年戦争時代、ここは重要な港湾の町として貴重な存在であったという。そして、町並みがその当時と基本的に変わってないという事に感服する。町並み保存活動を見てきた日本での自身を振り返ると何故か空しい気持ちがよぎってしまう。日本の現状を否定しているのではない。あまりにも違う民族性そして歴史観。

なぜここまで感動してしまうのかも解らぬまま、シーフード料理で有名な高級リゾート地ドゥービルの町へ向かった。ドゥービルの歴史はオンフルールとほぼ同じ歴史・文化を受け継いできたという。しかし、歴史、経済は完全にルーアンへと移り、北部都市ルーアンは、ル・アーブルに次ぐ中心的都市となっているらしい。北西にあるモンサンミッシェル(観光地)、北東に位置するオンフルール(観光地)の中間に位置するドゥービルは町としての機能を失い、無残なまでの姿をさらしていたという。20数年前、フランス政府のテコ入れで町は豹変した。古い建築物のほとんどは取り壊され、斬新な町に生まれ変わり、政府御用達のシーフードレストランが軒を連ねたのである。町並み保存に興味を持って10数年が流れた。我が国にもリゾート施設らしきものが全国に数多く生まれ、各々しっかり問題・課題を抱え、四苦八苦しているのが現状。しかしこちらでは漁師、農家、商家。町総ぐるみで変えてしまうところにビックリしてしまう。フランス国内には、こうしたケースがまだまだあるのだろうし、世界にはもっと例があるのだろうと思うと私の旅は当分続くのかもしれない。

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