2020-06-21

皇族の宿 賓日館

 あと少しで「津駅」。よれよれになったパンフレットを再度開いた。3年ほど前、ここ「賓日館」には見学会で訪れたことがある。けれどその時は団体行動。興味ある場面に時間をかけたいと思っても単独行動には気が引ける。解散後の車中では心残りと多少の悔しさを感じながらの帰路でしたが、我が家に着いたころにはサラリと流してしまうのが私なのです。ある日の夕刻、何となくTVをつけると終わりかけの画面には「賓日館」の全景が映されていました。3年前の記憶がよみがえり「何処かにパンフレットが…」と探し始めたのですが、何しろ私の資料物は雑然と積まれ探し出すのは至難の業、「捨てることをしなければ、物は必ずある」の信念は日々何かの探し物を続けなくてはならない辛~ぃ「罰」に服しているのです。

 当日、天気予報は曇り・時々雨。「津駅」から「二見浦駅」に到着。なんと駅舎を出たとたんに雨。待合所に人影もわずかで周りにタクシーも見当たらないが、足元が困るほどの降りではない。パンフに徒歩:12分とあったので「雨の街並みもイイか」と歩き始めた。海岸にある夫婦岩方面に歩けば「賓日館」には行ける。観光地「二見浦」の印象は人通りも少なく安閑としている。あと少し歩けば目的地という処まで来ると日本調の宿・料理屋らしき家並みは繁栄の歴史を感じさせ、凛とした日本家屋が並んでいます。

雨の日に濡れた全景には明治から大正・昭和・令和を生きた伝統日本建築の「凛」とした雰囲気が漂っていた。

「登録有形文化財」文化庁とある。数字からして早くに登録されたものだと思いますが、「貴重な国民的財産です」と記してあり何故か『アベノマスク』の6文字が頭を過ります。

 二見浦海岸が一望できる道まで来ると一見しただけで格の違う門構えの奥には「玄関」が圧倒的な存在感を示している。この右脇が入館口になっているが、受付へは行かず「玄関」の前で釘付けになってしまいました。入母屋屋根の妻側に取り付けられた厚板の中央部が盛り上がり、左右両端が反り返った連続曲線が実に見事なのです。これを「唐破風と言うのですよ」と係りの方が教えてくれました。上がり框は檜、式台の板敷はケヤキの一枚板。天井板は屋久杉の一枚板で70年以上経過もひび割れ一つもない現状に、素材の良さと大工の技に感動し「皇室の格」を感じながら玄関先だけで半時間を費やしてしまい、ようやく入場料を払うことが出来たのです。

 敷地1000坪、建坪550坪は現在の建物で、初めは明治19年12月(1886)着工、翌20年2月に竣工という短期間で完成させた180坪の建造物でした。それは翌月に皇太后が宿泊するという事態をうけての突貫工事でした。「皇室」から「庶民」に至るまでの「伊勢参り」、歴代天皇の「式年遷宮」を含め万事共通の「神域」ならではの出来事だったのでしょう。私はこの度まで「伊勢参り」は内宮・下宮どちらからでもお参り出来ると思い実際のところ過去の参拝はまちまちで、気にもしていませんでした。世界遺産「熊野古道」は伊勢参拝による各地の文化交流に華を咲かせ、多くの宿場町が繁栄。武士・商人・仏僧・一般庶民に至る参拝者たちは間違いなく「二見浦」を目指していたのです。そうです!「伊勢参り」は「二見浦(みそぎ浜)」で身を清めたのちに「下宮」・「内宮」と参拝するのが基本なのです。明治44年「賓日館」の主権者が変わるまでは、大正天皇・歴代皇族・有力政治家などが宿泊したことが記録されている。なぜ譲渡されたのか庶民の私には分からないが、「世は動き変化するもの…」ということでしょう。その後大正時代の初めに「賓日館」は、近隣地域が活気を見せ始めたことをいち早く予測したのか収容力を拡大するための大改修を行っています。明治の文明開化から大正・昭和へと移る中、ここ「二見浦」にも近代化の波が観光地として動き始めていたのです。そして昭和5年~昭和11年には2回目の大増改築が6年をかけて行われたのです。私が玄関前で釘付け状態に見入ってしまった「唐破風屋根」はこの時に増築された「秀作」なのです。

玄関を入って右側の階段の親柱に「二見カエル」が彫られている。これは後からくっつけたものではなく親柱と一体した彫刻作品なのです。

 玄関脇から事務所前を過ぎると資料室との間に二階へ向かう階段が目に入る。階段だけでこれほど気を引くことは珍しい。(10数年も前に「フランク ロイド」の建物を見学した時以来の感動)。一本の木から彫りこまれた細工物「二見カエル」はリアリティに富み、階段全体が木の質と職人技が輝いているのです。私は一階、二階の全部を見学出来たわけではありませんでしたが、一階の「寿の間」・「桜の間」・「梅の間」・「松の間」は時間をかけて見学させていただき、派手さは感じないがじんわりと心豊かになっていく日本家屋に浸ることが出来ました。二階の「御殿の間」は残念ながら見学不可でしたが、隣接する控えの間からは襖越しではありましたが「伊勢の神域」を感じるに十分な雰囲気が流れていました。

桃山式の大広間は120畳あり能舞台付きでその下には音が響くように甕が埋められた本格的「能舞台」になっています。

引手は磨いたら新品同様になったそうです。中央部が七宝焼のもの、松に鶴や波に千鳥などの細工が施されており素晴らしいものばかりです。

御殿の間の廊下には建物に負けない「洋椅子」が主人の帰りを待っています。
   座ってみたい感情は手でなでるだけ、重厚な張り布は厚くそれを共に支えるフレームの「木の艶」に威厳を感じた。

 明治20年(1887)に建てられた「賓日館」に133年の歳月が流れ、よくもこれだけの日本家屋が残っているものだと心底心打たれます。時世の移り変わりに何度となく改修を繰り返し、その「凛」として色あせることのない現状は、それを支えた団体も凄いと思いますが、職人たちの高度な伝統技術が我が国の誇りでもあります。最後に気になって止まないこと…。「入場料310円は安すぎる」です。

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