横浜散歩
横浜は気分転換に何度となく訪れた町です。
当時は何となく「遠いなぁ」と思っていた横浜も今では飯能駅から直接行けるようになり、持久力を失いつつある私にとっては大変ありがたい路線となってます。以前は東飯能駅から八高線で八王子駅、乗り換えた横浜線で横浜駅という横浜ルートがありました。この路線は絹織でも栄えた飯能市にとっては重要な物流アクセスであり、まさに「シルクロード」と呼べるものであったのです。横浜に運ばれた絹織物は船舶により国内外へと航送され、特に諸外国との交流は港の歴史に華を確立していったのです。交通手段の便利さは開港された異国の空気感が漂う街「ヨコハマ」として人々を魅了したのですが、私自身の正直な気持ちは「何となく」としか言いようがなく、只々気まぐれに訪れていた港町だったと思っています。それでも何故か出発前になると心の隅でソワソワする気持ちになるのです。(「何となく」に近い微妙な気持ちだけれど…)が、気になるそれが今回のぶらり旅でスッキリしたのです。訪れた「横浜市開港記念館」でラッキーにも同館に従事するガイドさんに案内して頂き、歴史について詳しい説明を受けることが出来たのです。それでも私自身の理解度に問題はありますが、効果的で上手な語りのおかげで私の視界は晴天となったのです。ここ「横浜」の歴史が漠然としか分かっていなかった自分自身に気付かされたのです。
現在周知されている「港町横浜」は砂州利用の埋立地だったらしい。勿論「関内」は元「海」であり吉田新田・横浜新田・大田屋新田と銘々された埋立地が「新田」として陸地を広げていったのです。江戸の時代、海に面した砂州を陸地にする土木技術があったことにビックリ!そこに外航船が着岸できる「港」を造った海洋土木の高レベルさにも感心させられます。アメリカに開港を迫られた江戸幕府は、止む無く開港を許すのですが、東海道の宿場町で繁盛していた「神奈川宿」には政策上、異国人を入れたくないというのが本音。結果埋め立てられた「横浜村」を急きょ神奈川の一部であるとして開港し、「神奈川宿」と「横浜村」を結ぶ道を開通(現横浜道)させたのですが、そこには幕府の一策があったのです。それは開通道を横切る大岡川の支流「派大岡川」に橋(吉田橋)を架け、「関門」と呼ばれる関所を設けたのです。この「関門」の内側、横浜側が現在の「関内」という地名になっているのです。ここには「神奈川運上所」というお役所があったのですが現在は県庁所在地になっていて、この西側は日本人居住地区、東側を外国人居留地に分離して外国人と武士の交流を極力断とうとしていたのです。刀とピストルのいざこざと云うよりも幕府内の政策上の施政であったのだろうと勘ぐり勝手に納得しています。「関門」のあった「吉田橋」から外国人居留地までの道路には互いの物資が荷馬車によって往来していたのですが、この道を「馬車道」という地名で多くの人々に親しまれているのです。今を生きる私たちから見れば、開発途上国と先進国のビジネスシステムは「弱肉強食」に見えるのですが、当時の江戸幕府はそれなりの存続発展を考えたのでしょう。が、今日を生きる私たちの足元を見たら、開港当時のここ「ヨコハマ」の政経とあまり変わっていないのではと思ってしまうのです。時代の差はあれ、「農海産物」・「牛肉」・「武器」等々某国からのプレッシャーは益々厳しく成っています。安全保障のための駐屯費用は膨大な金額を支出し続けています。(私が愚痴っても仕方のないことだけど・・・)
発展し続ける「港横浜」は洋館・鉄の橋などの貴重な文化財を見学することが出来るが、特出されるのはやはり完成された異文化を自然に感じることができることだろうと思います。頻繁に開かれる国際会議、永住している欧州人やターバン姿のサラリーマン等々が至る所でフツーに溶け込んだ風景があるのです。すれ違うたびに「えっ」と思うほど種々の香水が流れてきます。概ね「これはイヤ!」というのが殆どですが、希に「これはイイ!」と振り返っては見るが、次の香りを楽しみに胸を張って歩いています。国際色、これは何といっても「中国人」。横浜での勢力・実績・人の数ではダントツですが一見するだけでは我々と区別がつきません。そして「中華街」の歴史は概ね華僑の移住者がこの街に歴史・食文化を構築したのですが福建省・広東省などの人たちも参入し、街の繁栄に貢献したのです。最近の情報によると広東省出身で超人気の中華料理店の老舗が、10月末で閉店するらしいと聞きました。店主は75歳になるが健康そのものです。店主曰く「値段を抑え近隣の人々に喜ばれることで頑張って来たけれど、最近は観光客ばかりになって疲れてしまった。余生を家内と2人でゆっくり暮らしたい」と言ったそうです。そして帰国はせずに横浜以外の地を予定していると言うのです。世は移り変わるもの・・・。IR誘致によるカジノの参画がほぼ決定している横浜行政。益々観光客は増え、繁忙を極めるのかも知れませんが横浜好きの私は、人生のほとんどをここ横浜で費やした老舗中華料理店のご夫婦のことが気になって仕方ないのです。