2019-07-11

さざえ堂を訪ねて

 気まぐれ旅…。「終活」を意識しているわけではないけれど、気になったらジッとして居られない気持ちになってしまう私です。もう20数年も前になるでしょうか。見学会で会津の「さざえ堂」を訪れたことがあった。その時の見学会は何故か時間に追われた団体旅行になったため充分な観賞は出来なかったものの「不思議な構造だったなぁ」との記憶だけが断片的な印象として残っていたのです。当時の私は「近々にでも再訪しよう」と確信していたはずなのに…。あっと言う間の20年。「あ~あ」思わず窓ガラスに反射した私の顔を覗いていました。

 新幹線にするか高速バスでゆっくり行くかそれとも・・・。いつもここから思案するのが楽しみになっている。結局、池袋から北千住に出て東武鉄道で会津を目指すことに決定。帰路は宿のすぐ横が高速バスの乗り場になっていて郡山駅までは楽々と移動することができた。後は、新幹線で東京駅(この帰りのルート、会津に到着した時には決めていた。私流、旅の得意技なのです)。

サザエ堂の画像

この「さざえ堂」は1796年、当時(旧正宗寺円通三匝堂)の住職が設計建立した六角三層の寺で、平成7年に国指定重要文化財になった貴重な建造物なのです。が、過去に拝観した数々の重文寺社仏閣に比べると実に質素な造りで、感想を述べよと言われたら、茶道で云う「わび・さび」の気を感じる・・・。と少々苦しい答えをするのかも知れない。上り下りが別ルートの二重螺旋構造になっており足元が進むたびに揺れ、きしみ音に不安を覚えたけれど建立200年以上も経過している現実は私の不安を瞬時に消し去り、同時にこの伝統技術、保存能力に対して只々敬服。螺旋のスロープを上がり、頂点に到達。見上げると手の込んだ折上鏡天井となっていた。そして下る。堂内通路は一方通行となっていて思っていたよりもスムーズに進むことが出来る。過去には西国三十三観音像が通路に安置され、参拝者には大変ありがたい通路と好評であったと云う。そして、時世の代わり行く中「神仏混交」の形態をとっていた正宗寺は明治初期の廃仏毀釈で廃寺となり、今は別の場所に安置されているとのことですが、詳しい場所は聞けなかった。

サザエ堂の画像

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「さざえ堂」は外観を見て回るだけでもワクワクします。正面の屋根は唐破風造で他の部分は銅板葺き、外壁の板張りは今まで見たこともない傾斜した貼り方が不思議。外から眺めているだけで建物内が螺旋になっていることを来訪者に主張しているアート作品であり、楽しい気持ちは倍加するのです。「通柱」、何度も見学した五重塔などは中心に一本の柱が垂直に建っているのが普通。ここの「通柱」はどの位の柱を使っているのだろうかと僅かの隙間に潜り込んで覗いて見ると等間隔に3本の柱が確認できた。見慣れた1本の「通柱」ではなく3本であったことが、訳もなく嬉しく思えたのです。後日、我が家で頂いた資料の中に図面のコピーが載っていた。それを見ていると「あれっ!数が…」。通柱の本数が違っているのです。図面上では六本が中心に建てられ、外側にも六本の柱があり中心の柱と外側の柱が梁でつながって構成されているのです。狭い隙間に潜り込み「叱られるかも」と思いながら確認したのに見間違えてしまったみたい・・・(でも!本音を言うと「私が正しい」と思っているので、何らかの手段で確認しようと秘かに燃えているのです)。

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{余談}知らなかったのは私だけかも!?知ってる人は知ってる話!
さざえ堂を漢字で書くと「栄螺堂」と書くのだと初めて知った(笑)。この三文字にルビを打つとして「栄」・「螺」・「堂」に打つルビのサ・ザ・エは正確には何処に打つのだろう?確定しているのは「堂」だけだと思うのですけど。それと「螺」、これは「ニシ」と読み「タニシ」で周知されている巻貝の呼称らしい。「栄螺」・「タニシ」・「螺旋」これらの単語に共通した「螺」の漢字が殻の線で成立していることを今更にして解った。と云うどうでもいい話です。

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